前回はケプラーに焦点を当てて話をさせていただきました。今回はその後物理学を引きつないでいったかの有名な「ガリレオ・ガリレイ」に焦点を当てることにします。
1:振り子の周期が変わらない事に気がついたガリレイ
フィレンツェにて生を受けたガリレイは、親に医者になるよう勧められて育てられた。親は数学が好きだったらしいが、お金が儲かるからという理由で医者になるよう言われたようである。
しかしガリレイは医者の仕事よりも物理的なものに興味があった。ある時寺院の天井に吊るされている燭台が、ろうそくに火をつけるために動かされ揺れているところを彼は眺めていた。次第にろうそくの揺れ幅は小さくなっていくが、彼はその一往復の周期は全く変化していないことに気がついたのです。
これは非常に不思議なことですよね。図解してみました。図1をご覧になってください。
図1:ガリレイが見た振り子のようす
ガリレイはこのようなものを見ていたのでしょう。彼は自分の心臓の脈を用いてこの時間をなるべく正確に測ろうとしたところ、ほぼ同じ時間ということに気がつきました。(図1で言えばT=T’ということです!!)
さらに驚くべきなのは、この振り子の周期は、振り子の先についている物体の重さにも全くよらずに一定であるということです。
彼は逆にこのことを利用して「振り子を脈を測る道具として利用する事」に応用しました。それは「脈拍計」として用いられ、医学への大きな貢献になったのです。
しかし、彼の医学に対する貢献はこれで最後。その後は物理学に対して打ち込んで行く事になります。
2:落ちるのにかかる時間は重さにはよらない
彼は振り子の運動が重力による落下運動の特殊な場合であること、また、振り子の周期が全くをもって運動している物体の重さに依存しないことから、仮に重い物体と軽い物体を同じ高さから落下させたとしたら、同時に着地することを予想した。
これは「ピサの斜塔からガリレイが重い物体と軽い物体とを同時に手から離して落下させて実験」(図2)として有名になっていますが、歴史学に関する研究によればこれは実際には行われておらず、話が大きく噂になってしまっただけのようです。
図2:ピサの斜塔からの落下の実験
何れにしても彼は自分の家では繰り返しこのような類いの実験を行い、上の仮説を実証したでしょう。
しかしこれは当時当然の知識として受け入れられていた「アリストテレス哲学」の考えと矛盾しています。重いものほど早く落ちる。これは我々の直感にもなんとなく合っています。羽と鉄球を同時に落としたら、鉄球の方が落ちるのが早いですよね?
3:落下の法則の発見
ガリレイはものが落ちることに関する数学的法則を見つけ出そうとした。しかし、ものが落ちるスピードはそれを研究する際にはあまりにも速すぎた。
そこで、彼は斜面にものを転がすことで、重力による落下のスピードを「弱める」ことにした。その落下にかかる時間の測定に、彼は「水時計」を使って克服しました。これは「水の量によって時間を計る」時計です。
例えば一秒に100mLの水が出てくる水道が目の前にあるとして、実験を行って水時計で時間を測った結果、500mLの水が出てきたとすれば?それはもちろん、5秒の時間を要したということがわかるわけです。このようにして、出てきた水の量から逆算して時間を計算してやろう、という考えなわけです。
それにより、彼はこの実験から何を発見したか・・・
物体を斜面に転がし始めた時から同じ時間が経過するごとに、物体が斜面を転がる距離は1:3:5:7:9:11:…と変化した。
これはとても奇妙なことです。しかし、美しいですね。どうしてこんな綺麗な関係性が見られるのか。ある意味恐ろしいかもしれません。上の文章を図解してみると図3のようになります。
図3:斜面における落体の実験のようす
皆さんも実験を頭の中で想像してみれば、同じ時間が経過するごとに距離がだんだん伸びていくことを実感できるとは思いますが、それがこのような綺麗な整数の比であると考えるに至るのは大変なことですよね。
さて、彼はさらに考えを進め、スタート地点からの距離はどうなっているのかということについても考えてみた。これを図にしてみたのが図4です。
図4:スタート地点からの距離
さて、何かお気づきでしょうか。それは1,4,9,16…という数字が平方数であることです。
そこで彼は次のようにこの実験結果を一般化し、法則としました。
落下の法則:物体が落下の際移動する距離は、時間の二乗に比例する。
とても鋭い洞察力ですよね。彼はこの実験の際に現在の積分の元とも取れるような考察を行っています(こちらでは紹介いたしません)。
さて今日はここまでしましょう。次回はこの落下の法則を応用した面白い例を紹介したいと思います。
参考文献:ガモフ,ジョージ(1962)『ガモフ全集・第10巻:物理の伝記』pp.64-71,鎮目恭夫訳,白揚社
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