歴史」カテゴリーアーカイブ

物理学のはじまり ガリレイ時代の背景

これは前回の記事の続きになります。今回は

②当時の歴史的背景を提示する

ということを書きたいと思います。

 


②当時の歴史的背景

さてガリレイらが地球が動いているのか動いていないのかという問題について取り組んでいた時、時代がどういう背景であったかをお話いたしましょう。

(1)彼の時代はローマカトリック教会が支配しており、聖書の教えが絶対であった。そこでは地球は動いていない、天が動いているのであるとする「天動説」が暗示されていた。

以前の記事「物理学のはじまり 地球が回ってる」でも述べたように、コペルニクスが打ち立てた「地動説」の世界体系は世の中に受け入れられているとは言い難かったことから、天動説が主流の考え方であったことはわかりますね。

(2)アリストテレス主義というものが皆の共通の考え方であった。この考え方は目的因という考え方に根ざしている。それによれば、「すべてのものはそのあるべき位置をわきまえ、大抵はその位置を保っているが、その位置から外れた時にのみ運動が起こり、元の位置に戻るように行う」という風に物体の運動を解釈した。例えば、石は普通地面にある。だから私たちが元の位置である「地面」から持ち上げ手から離してやると、元の位置である地面に戻るように落ちていく。このような考え方が当時の常識だったんです言ってしまえば一種のこじつけでしょう。

子供「どうして石は落ちるの?」

大人「それはね、石が地面にあることが普通だからだよ。そこに戻っていこうとするんだよ。」

という風に。こんな考え方が当時の常識だとしたら・・・・。「ものがどうして落ちるのか?」という問いに真剣に答えようとすること自体が意味のないことになってしまいますね。ですから、アリストテレスの考え方はこの時代の物理学者たち(ガリレイなど)に対してはとても有害な考え方であったわけです。

さらに、アリストテレス主義はローマカトリックの教義として採用も受けていたために、なおさらこれに反抗することは世界を敵に回すようなものだったのです。

(②終わり)

 


ここまでで歴史的な背景のおおよそを解説しました。次回はこのような世間の風潮の中、ガリレイがどのような考えを提示していったかという核心に触れていくとしましょう。

物理学のはじまり 地球はどれくらいの速さで回転しているのか

今回の記事はまとめると長くなってしまうので、皆さんがサクサクと量的に無理なく読んでいけるように分割していきたいと思います。流れとしては以下のような感じになります。

①皆さんの常識から考えられる疑問を提示する(今回の記事のメインポイント

②当時の歴史的背景を提示する

③そのような背景のもとガリレイらがどのような考えをしたのか提示する


①皆さんの常識から考えられる疑問

ものは支えるものがなければ落ちます。これは地球に生まれた我々の誰もが日常的に実感することです。そして、一般常識として「地球が回転したり、太陽の周りを回っていること」を皆さんご存知でしょう。そこで簡単な計算を用いて地球がどれくらいの速さで回っているのか見積もってみましょう。

仮定される知識:地球は一周40000kmである。

上のことを一旦そうなんだと受け入れていただき、以下の手順をとって計算してみます。

  1. 地球は1日に1回転する
  2. つまり、24時間で360度回転する
  3. (赤道では)24時間で40000kmほど回る
  4. 1時間では約1667km(=1667000 m)ほど動く
  5. 1秒では約463 m動く

ということになります。これを身近な例でとって考えますと、

  • 42.195kmのフルマラソンは約91秒で走り終える
  • 新幹線は一番速いものでも1秒で88mしか進めない(参考
  • 旅客機最大速度で1秒で286mしか進めない(参考

なんとなく、いかに地球が恐ろしい速さで動いているということが実感できるでしょう。ここから次のようなことも考えられてしまうのではないでしょうか。

ジャンプしたら、ワープするように別の地点に飛び移れるのではないか?

でも日常的にどう考えてもこれが叶わないことは誰にでも明白です。誰かがジャンプした途端にどこかに飛ばされてしまったらたまったもんじゃないですね。

かといって、どうして上のワープができないのか・・・などと考え始めるととても難しいことだと思わないでしょうか。

このようなことにも説明がつかないですし、まさか地球が回っているなどということは大部分の人たちは考えもしなかったわけです。(①終わり)


 

内容としては読者に問題を提起した感じなります。不完全燃焼となる方もいるかと思いますが、とても直感的に色々考えを巡らすこともできますし、色々考えていただけたらと思い、一旦ここで記事を切り、次回以降にまた更新して考えを深めていけたらと思います。

[力学1]monkey hunting

「物理学のはじまり 天才ガリレイの登場」において落下の法則を扱いました。おさらいしておきましょう。

落下の法則:物体が落下の際移動する距離は、時間の二乗に比例する。(重さにもよらない)

図1:落下の法則

転がす対象となる物体は、羽などの極端な物質でなければ重さが異なっていても落下するのにかかる時間は同じです

それを応用してみた面白い例がこのモンキーハンティングになります。内容を紹介いたしましょう。

図2:モンキーハンティング解説その1

図2のように左下の人が木にぶら下がっている猿に狙いを定めています。猿が発砲と同時に、玉を避けようとして木から飛び降りたらどうなるでしょうか

実は、玉は猿に当たってしまいます。したがって図3のようになってしまいます。

図3:モンキーハンティング解説その2

 

この結果は、上に書いたガリレイによる「落下の法則」によって理解することができます。

重要なのは「鉄砲の玉」と、「猿」という「物体」は、重さがたとえ違っても、落下する際には関係がないと考えられ得ることに注意してください。

そして、上の図を次の図4のように考えてみましょう。

図4:モンキーハンティング解説その3

少し図を回転させ、鉄砲の向けている方向が水平面になるようにしてみました。そして、重力の方向を、赤色矢印と白色矢印に分解してみました

するとどうでしょう、この図の見方で考えれば、「下方向への落下」は「鉄砲の玉」も「猿」も全く同じになります。ですから、例えば鉄砲の玉を飛ばさずにその場で落とすだけにすれば・・・図5のようになります。

図5:モンキーハンティング解説その4

ですから、たとえ鉄砲の玉に図5右方向へと速さを持っていたとしても、落下距離は全く同じなります。よって、図6のように考えられます。

図6:モンキーハンティング解説その5


 

 

おわかりいただけたでしょうか?このようにして、お猿さんは発砲と同時に避けようとしたのが不幸で、その行動はまずかった、というわけですね。

筆者が高校生の頃にはこの実験をやったのですが、現実にはなかなかうまくいかなかった記憶があります(笑)。ですが、こちらの塾ではそういううまくいかないところも含め、生徒たちの議論の対象にしていけたらいいと思っております。

物理学のはじまり 天才ガリレイの登場

前回はケプラーに焦点を当てて話をさせていただきました。今回はその後物理学を引きつないでいったかの有名な「ガリレオ・ガリレイ」に焦点を当てることにします。


1:振り子の周期が変わらない事に気がついたガリレイ

フィレンツェにて生を受けたガリレイは、親に医者になるよう勧められて育てられた。親は数学が好きだったらしいが、お金が儲かるからという理由で医者になるよう言われたようである。

しかしガリレイは医者の仕事よりも物理的なものに興味があった。ある時寺院の天井に吊るされている燭台が、ろうそくに火をつけるために動かされ揺れているところを彼は眺めていた。次第にろうそくの揺れ幅は小さくなっていくが、彼はその一往復の周期は全く変化していないことに気がついたのです。

これは非常に不思議なことですよね。図解してみました。図1をご覧になってください。

図1:ガリレイが見た振り子のようす

ガリレイはこのようなものを見ていたのでしょう。彼は自分の心臓の脈を用いてこの時間をなるべく正確に測ろうとしたところ、ほぼ同じ時間ということに気がつきました。(図1で言えばT=T’ということです!!

さらに驚くべきなのは、この振り子の周期は、振り子の先についている物体の重さにも全くよらずに一定であるということです。

彼は逆にこのことを利用して「振り子を脈を測る道具として利用する事」に応用しました。それは「脈拍計」として用いられ、医学への大きな貢献になったのです。

しかし、彼の医学に対する貢献はこれで最後。その後は物理学に対して打ち込んで行く事になります。


2:落ちるのにかかる時間は重さにはよらない

彼は振り子の運動が重力による落下運動の特殊な場合であること、また、振り子の周期が全くをもって運動している物体の重さに依存しないことから、仮に重い物体と軽い物体を同じ高さから落下させたとしたら、同時に着地することを予想した

これは「ピサの斜塔からガリレイが重い物体と軽い物体とを同時に手から離して落下させて実験」(図2)として有名になっていますが、歴史学に関する研究によればこれは実際には行われておらず、話が大きく噂になってしまっただけのようです。

図2:ピサの斜塔からの落下の実験

何れにしても彼は自分の家では繰り返しこのような類いの実験を行い、上の仮説を実証したでしょう。

しかしこれは当時当然の知識として受け入れられていた「アリストテレス哲学」の考えと矛盾しています。重いものほど早く落ちる。これは我々の直感にもなんとなく合っています。羽と鉄球を同時に落としたら、鉄球の方が落ちるのが早いですよね?


3:落下の法則の発見

ガリレイはものが落ちることに関する数学的法則を見つけ出そうとした。しかし、ものが落ちるスピードはそれを研究する際にはあまりにも速すぎた。

そこで、彼は斜面にものを転がすことで、重力による落下のスピードを「弱める」ことにした。その落下にかかる時間の測定に、彼は「水時計」を使って克服しました。これは「水の量によって時間を計る」時計です。

例えば一秒に100mLの水が出てくる水道が目の前にあるとして、実験を行って水時計で時間を測った結果、500mLの水が出てきたとすれば?それはもちろん、5秒の時間を要したということがわかるわけです。このようにして、出てきた水の量から逆算して時間を計算してやろう、という考えなわけです。

それにより、彼はこの実験から何を発見したか・・・

物体を斜面に転がし始めた時から同じ時間が経過するごとに、物体が斜面を転がる距離は1:3:5:7:9:11:…と変化した。

これはとても奇妙なことです。しかし、美しいですね。どうしてこんな綺麗な関係性が見られるのか。ある意味恐ろしいかもしれません。上の文章を図解してみると図3のようになります。

図3:斜面における落体の実験のようす

皆さんも実験を頭の中で想像してみれば、同じ時間が経過するごとに距離がだんだん伸びていくことを実感できるとは思いますが、それがこのような綺麗な整数の比であると考えるに至るのは大変なことですよね。

さて、彼はさらに考えを進め、スタート地点からの距離はどうなっているのかということについても考えてみた。これを図にしてみたのが図4です。

図4:スタート地点からの距離

さて、何かお気づきでしょうか。それは1,4,9,16…という数字が平方数であることです。

そこで彼は次のようにこの実験結果を一般化し、法則としました。

落下の法則:物体が落下の際移動する距離は、時間の二乗に比例する。

とても鋭い洞察力ですよね。彼はこの実験の際に現在の積分の元とも取れるような考察を行っています(こちらでは紹介いたしません)。

さて今日はここまでしましょう。次回はこの落下の法則を応用した面白い例を紹介したいと思います。

参考文献:ガモフ,ジョージ(1962)『ガモフ全集・第10巻:物理の伝記』pp.64-71,鎮目恭夫訳,白揚社

物理学のはじまり 地球が回ってる

1:コペルニクス的転回

前回の記事において、プトレマイオスが打ち出した天動説の考え方に皆が縛られていた話をいたしました。

しかし、ニコラウス・コペルニクスという人が『天体の回転について』(1543年)を出版し太陽を中心として地球が回る世界体系を打ち立てた。とは言っても、当時はローマ教会からの禁止を避けるために「これは純粋な計算により出てきただけの結果に過ぎず、本当かどうかなんてわからない。」というような、ローマ教会側の考え(=地球こそが中心だ!)を否定しないような記述に配慮していたそうです。とは言っても、この本が世に出たことでキリスト教に対する信頼が落ちて騒ぎになったそうである。またこの本の出版は、弾圧の可能性を危惧してか、コペルニクス自身が亡くなるのを待って出版されたようであった。


 

2:ケプラーの発見(その1)

コペルニクスが打ち出した新たな世界体系においては、惑星の軌道は完全な円を描くと考えられていました。

しかし、デンマークの天文学者ティコ・ブラーエが行った惑星運動の精密な観測結果から判断すると、どうも軌道は円軌道ではないことケプラーは見出した。ケプラーはティコの弟子であり、数学的知識も非常に富んでいたために、この運動についての計算を詳細に行ったのです。長年の研究の末、彼は現在において「ケプラーの第一法則」と呼ばれる法則にたどり着いた。

ケプラーの第一法則:「惑星は太陽の周りを正確な円軌道を描いて運動するのではなく、太陽を焦点とする楕円軌道を描いて運動している。」

※楕円における「焦点」が何かきになる方は調べてみましょう。こちらでは議論が複雑になるのを避けるために深く厳密には解説はいたしません。


 

3:ケプラーの発見(その2)

また、彼は同時に次のようなことも発見した。

「惑星が太陽の周りを回るとき、近日点においてはそのスピードが速い。しかし、遠日点においてはそのスピードが遅い。」

これは少し図を見ながら解説いたしましょう。

図1:近日点・遠日点での速さの違い

近日点とは、図1でいうところの「速い!」となっている位置です。太陽=日に近い点ということですね。それに対して「遅い!」となっている点のことを「遠日点」と言います。

これを発見したこと自体でも相当恐ろしいことだと思うのですが、ケプラーは一歩進み、現在「ケプラーの第二法則」と呼ばれているものを打ち立てました。

ケプラーの第二法則(面積速度一定の法則):「太陽と惑星を結ぶ仮想上の線分が等しい時間の間に作る面積の大きさは必ず等しい。」

上の色分けには意味があります。これも簡単に図を用いて説明します。図2をご覧になってください。

図2:第二法則説明図その1

これは上に説明したケプラーの第二法則の中の緑色の字太陽と惑星を結ぶ仮想上の線分」をまず描いてみたものになっています。①と②に当たるのがそれですね。では次に図3を見てみましょう。

図3:第二法則説明図その2

オレンジ色で「等しい時間の間に」と言っていますから、ある時間が経過したとしています。もちろん、惑星はケプラーの第一法則を認めれば楕円軌道上を少し動きます。

さて最後に図4を見てみましょう。

図4:第二法則説明図その3

「作る面積の大きさは必ず等しい」と言っていますね。図4に置いて斜線を引いた面積が同じということになります。驚きですね。

 


 

4:ケプラーの発見(その3)

ケプラーは惑星運動についての第一法則、第二法則を発見した(1609年)、9年間の時を経て、現在「ケプラーの第三法則」と呼ばれているものにたどり着きました。

ケプラーの第三法則:「種々の惑星の公転周期の2乗は、それらの惑星の太陽からの平均距離の3乗に比例する。」

 

 

口を酸っぱくして言いますと、これらは「法則」です。法則がよくわからない方はこの記事の2:「物理学と数学の比較」を読んでみてください。間違いを恐れず簡単に言い切ると、法則とは「実験によって、なんだかよくわからんが成り立つもの(でもなんでかはよく分からん!)」です。ですから、この後の人々はどうしてこのケプラーの三法則が成り立つのかを説明しようと悪戦苦闘していくことになります。その解決にはこれから50年以上の年月を要することになったのです。

 

(続く)

物理学のはじまり キリスト教の弊害

1:「地球こそが中心なんだ」という考え方がはびこる

前回最後に紹介しましたプトレマイオス(紀元後200年ほどの人物)は、「地球が世界の中心であり、その他の惑星は地球の周りを回っている。」という世界体系を打ち出し、その考え方はキリスト教の教理に非常に合っていたため、これが根底概念として支配されるようになりました。

現代において、太陽の周りを地球が回っていることは疑念の余地がありません。誰も疑わないでしょう。しかし、当時は逆であり、「地球こそが世界の中心である」という考え方(=天動説)が当たり前の事実として受け入れられていたのです。

では、ここで我々が過去にタイムスリップしまして、「地球こそが回っているんだよ。太陽が中心なんだ。」と言いふらしたらどうなると思うでしょうか?

実は、宗教裁判所(異端審問所)というところが目を光らしており、そのような発言をしたあなたを糾弾し、刑に服せられてしまうでしょう。

そんな時代はヨーロッパにおいて1000年以上も続き、科学の発展を妨げてしまったと考えられます。


 

2:ギリシア科学の逃げ道はアラビア帝国であった

幸いにして、ギリシアで発展した科学の基礎はアラビア帝国に伝わり、そこで生き延びたのです。アラビア時代(7世紀頃)に発達した学問の言葉は今でも名前が残っています。アルジェブラ(代数学)、アルコール、アルカリ、アマルガム、アルマナク、アンタレスなどなど。

しかし、アラビア帝国においては、数学は発達したにもかかわらず、物理学への重要な寄与はなかったと言われています。


 

3:ヨーロッパにて再び

キリスト教信仰により物理学の発展が抑えつけられ、西暦784年となった頃、次第にヨーロッパに科学再興の兆しが見えた。フランス帝国において修道院には付属の学校をつけることが義務となり、時を経て1100年にはパリ大学が造られた。とは言ったものの、実はローマ帝国により教育の内容については厳しい監督がなされていた。主に研究が許されていたのはアリストテレスの書物であり、これはギリシア→アラビア→ヨーロッパというようにアラビアを経由して再びヨーロッパの手元に戻ってきたのものであった。しかし以前にも書いたように、アリストテレスの哲学は物理学を発展させるという意味ではあまり優れておらず、むしろ弊害となっていた。

結果として、再興仕掛けているヨーロッパはなかなかその道に乗り切ることができなかったのです。


 

今日はここまでにしましょう。なんとなく内容はつかめて頂けたでしょうか?今までの流れを簡単にまとめると、

  1. ギリシアで科学の基礎が芽生えた(〜西暦200年頃まで)
  2. ギリシアが衰退=科学発展がストップ
  3. ギリシアの科学の基礎をアラビア帝国が引き継いだ(西暦700年ほど)。一方、ヨーロッパはキリスト教信仰により科学発展ほぼ停止。
  4. ヨーロッパの一部では厳しい統制の中、フランスなどで再興の兆し。(西暦1100年ほどまで)
  5. アラビア滅亡(11世紀ほど)

 

かなりざっくりですが、ギリシアで科学の基礎が芽生え、それはキリスト教信仰がヨーロッパにはびこっている間はアラビアに避難していたのですね。それが次第にヨーロッパに戻り、再興の兆しが見えていたのですが・・・・。アリストテレスの哲学はヨーロッパにおいて科学の発展には不利な状況であった、と。

物理学のはじまり アレクサンドレイア学派

今までギリシアで発達した物理学の歴史を簡単に追ってきました。しかしこの頃ギリシアの中心地アテナイはスパルタとの戦争(ペロポネソス戦争:紀元前431-404)によって大きく衰退していき、物理学の中心地は当時オリエントとヨーロッパの交易の中間地点として栄えていたエジプトのアレクサンドレイアに移っていきました。

この時代に物理学を発展させたおもな人物はヒッパルコス、ヘロン、プトレマイオスです。いかに軽く紹介していきましょう。

 

♠アレクサンドレイア学派その1「ヒッパルコス」(紀元前200年ほどの人物)

彼は天文学の分野で活躍しました。星の観測精度を当時可能な最大限にまで引き上げ、1080個の星の目録を作り上げています。また、彼は「分点歳差」の現象を発見しました。分点とは天球上で太陽の軌道が天の赤道(=地球の赤道を天球上に引き伸ばしたもの)と交わる点のことで、現在は「秋分点・春分点」などという名前で聞かれるのが普通です(図1をご覧になってください)。

図1:分点とは?(Wikipediaより図を引用)

しかし実際にはこの分点は年が変わるごとに若干ずれています。これは歳差現象と呼ばれ、のちにNewtonが創立した力学によって完全に解かれました。(いずれ触れることになるでしょう。)これはコマにも見られる現象です(コマというのはクルクル回るあのコマですよ!)。コマが回っている間、コマの軸は少し傾いていませんか?(わからない方はYoutubeなどでコマ 歳差のキーワードで調べてみましょう。)実は地球もこのように運動しています。

この歳差運動によって、「分点」の場所は地球から見る人にとってはずれたように見えてしまうわけですね。
♠アレクサンドレイア学派その2「ヘロン」

先ほどのヒッパルコスは主に天文学の分野で活躍した人物ですが、ヘロンは物理学の発展に大きく寄与しました。彼は『力学』『気学』『反射光学』などを書き、『反射光学』においては、当時から「ものが見える」ということの原因を、「目から発された光線がものに反射してから目に再び入ってくるから」と捉えていたことも記されています。また、この著書において彼は「光は最短経路で進もうとするからまっすぐに進むのである」ということにも言及していました。

 

 

♠アレクサンドレイア学派その3「プトレマイオス」(紀元後200年ほどの人物)

この人はヒッパルコス同様天文学者です。彼は『アルマゲスト』という本を書き、ヒッパルコスよりも豊富なデータを作り上げました。物理学の面での彼の貢献は『光学』に記されており、屈折について詳しく扱っています。彼が行った実験の概要を簡単に以下に記します。図2をご覧になってください。この図において、この人の目に硬貨は映らないでしょう。しかし、この目の位置を完全に固定したまま水を注いでいくと、なんとこの硬貨が浮かび上がってくるように見えます。実演動画を撮ってみましたので、ぜひ見てみて下さい。

「プトレマイオスの光の屈折の実験」

これは現代風の言葉で言えば、

屈折の法則:「ある媒質からある媒質へと光が移動するとき、入射角と屈折角の正弦(サイン)の値を比にとったものは一定である。」

ということになります。これは法則ですから、経験則にすぎません。仮にこの実験をいろいろな物質についてやってみたとして、ある媒質については成り立たないことが示されたとしたら、この法則はあらゆる物質に成り立つとは言えなくなり、完全な法則とは言えなくなるわけです。今までの記事を見ている方であれば、私が口をすっぱくして言っているので、わかっていただけているでしょうか?

 

それでは今日はここらへんで終わりにしましょう。

物理学のはじまり その3

本日で古代ギリシアについての歴史は終わります。最後の人物はアルキメデス(Archimedes)です。

古代ギリシア人その3「アルキメデス」

アルキメデスはアリストテレスの時代から100年ほど経った時の人物です。父親が天文学者で、数学の力をメキメキとつけ、結果的に数学や物理の分野で大きな功績を残しています。幾つかリストアップしてみましょう。

  • 位取りにより数を表す方法の発明。(今日では私たちは135という数字のことを、100 が1つ、10が3つ、1が5つのようにして位にわけて数えますよね)
  • すべての球について、それに外接する円柱を考えたとき、円柱の体積はその球の3/2倍である。
  • 半球の重心位置の決定。
  • 力の釣り合いに関する著書『平面の釣り合いについて』では、公理を立てて定理を導く、という現代の数学・物理に近い構造を用いて議論をしている。この定理には有名な「テコの定理」が含まれている。
  • 任意の固体は液体に浸されると、それがおしのけた液体の重さだけ軽くなる。(アルキメデスの浮体の法則と呼ばれる。後に詳しく書きます。)

などなど、もっとたくさんあるのですが、キリがないのでここらへんで。現在は微積分学が発展しているために、普通の理系学生は球の体積だったり表面積は積分で求めます。しかし当時はそんなものはありませんでした。では、どのように示していたのか?

実は「幾何学」です。アルキメデスの一つ前の世代ほどに、エウクレイデス(英語ではEuclid:ユークリッドと呼ばれる)が『原論」というものを出し、当時は幾何学が主な道具でした。我々が現在知っている代数学(1次方程式、2次方程式などなど)はまだ存在すらしていなかったのです。ですから、中学生の頃になんとなくやっていた幾何学、ありましたね。あれは約2300年ほど前の数学なわけですね。驚きです。


静力学についてのアルキメデスの貢献

アルキメデスが物理において大きな貢献をしたものとして、上のリストの4つ目:静力学についての貢献があります。まず、以下に彼が法則(=実験的に成り立つと思われることであり、それを最小限正しいと認めてしまう事柄。これは法則の意味でしたね。)としていたものを書いておきます。ここら辺は読むのがつらいとは思うので、飛ばしても結構です。

静力学についての法則(アルキメデスによる)

  1. 等距離にある等しい重さは釣り合う。等しくない距離にある等しい重さは釣り合わず、大きいほうの距離にある重さのほうへ傾く。
  2. もし、ある2つの距離にある重さが釣り合っているとき、一方に何かを追加するなら、両者は釣り合わず、追加された重さのほうへ傾く。
  3. 同様に、もしある2つの距離にある重さが釣り合っているとき、2つの重さの一方から何かを取り去るなら、両者は釣り合わず、何も取り去られなかった重さのほうへ傾く。
  4. もし、大きさが等しく相似形の平面図形が重ねあわされたとき一致するなら、両者の重心も一致する。
  5. もし、2つの図形が等しくはないが相似形なら、両者の重心も相似の位置にある。相似の図形に関して相似の位置にある点とは、それらの点から等しい角に向かて直線を引くなら、それら直線が、対応する辺と等しい角をつくることを意味する。
  6. もし、ある距離にある2つの重さが釣り合うなら、それらに等しいほかの2つの重さも、同じ距離で釣り合う。
  7. 周が同じ向きに曲がっているどんな図形でも、重心はその図形の内側になければならない。

これはアルキメデスが導入した法則です。したがって、彼は実験的にこれは自明なこと(=あたり前なこと)と受け入れて、そこから何が導かれるのか?ということを考えたわけです。そこから導き出される15個の定理のうち、6つを以下に記します。

静力学についての法則から導かれた定理

  1. 等距離で釣り合う重さは等しい。
  2. 等距離にある等しくない重さは釣り合わず、大きいほうの重さのほうへ傾く。
  3. 等しくない重さは等しくない距離で釣り合うことができる。
  4. 2つの等しい重さが同じ重心をもたないなら、両者を合わせたものの重心は、両者の重心を結ぶ線分の中点である。
  5. 3つの重さのそれぞれの重心が一直線上に等距離に並ぶなら、全体の重心は中央のものの重心と一致する。
  6. テコの定理:「2つの重さは、その重さに逆比例する距離で釣り合う。」

本来「テコの法則」やら「テコの原理」とか呼ばれますが、これはアルキメデスが著書の中で公理から導いた「定理」なるものなので、あえて定理と書かせていただきました。



少し復習

上で言及したことが分からない・忘れた方のために軽く書いておきます。

図1:物理学と数学の違い

図1は以前の記事「物理学と数学の違い」でも用いた図です。物理学は「証明はできないけれど、正しいと思える最小限の規則」のことを法則というのでした。ですから、上に書いた「静力学についての法則」はいったん疑うのをやめよう、というのです。とにかく、正しいと思ってみよう。騙されたと思ってみよう。そういうことです。では、そうなったときに何が必然と導かれてくるのか?それが上に書いた「静力学についての法則から導かれた定理」なのです。

確かに「テコの定理」は実験すれば正しいであろうことがわかりますし、日常的に直感的にわかる方もいるでしょう。ですから「法則」といってもいいのです。ただ、アルキメデスが「法則」としたもの(そこにテコの法則は含まれていないことに注意)を正しいと思い込んでおけば、「テコの法則」は導かれてしまうので、「テコの定理」と書くべきではないかな、と思ったのです。



テコの定理を用いると、重いものを持ち上げることに利用できることが分かります。図2をご覧になってみてください。

図2:テコの定理の直感的理解

どっちのほうが楽でしょうか?みなさんも日常で経験したことがあると思います。上側のほうが楽ですよね。では、このことをテコの定理を用いながらもう少し深く考えてみましょう。赤色の箱が100kgであるとしておきます。また、図2の上側の図において、左端から支点まで:支点から右端まで=2:1としておきましょう。頭の中で図3のようにイメージできればOKです。

図3:イメージしてほしいこと!

さて、テコの定理をもう一度見てみましょう。

テコの定理:「2つの重さは、その重さに逆比例する距離で釣り合う。」

つまり、上の図3においては、押す重さ:100kgの重さ=1:2となれば釣り合うということをテコの定理が語っていることになります。この計算から、押す重さ=50kgの重さということになります!したがって体重50kgの人が左端に乗っかると理論的には釣り合うことになりますね。

では、図2の下側について考えてみるとどうでしょうか。左端から支点までの距離:支点から右端までの距離=1:2としておきます。図4のように考えられます。

図4:次にイメージしてほしいこと!

同様に考えまして、押す重さ:100kgの重さ=2:1なので、押す重さ=200kgでなければ釣り合いません!!めちゃくちゃ大変です。

このことは当時大変応用されました。戦争で重い弾丸を敵兵に投げ飛ばすのにもつかわれました。戦争で敵の船を持ちあげて壊すのにもつかわれました。このようにして、アルキメデスの頭脳は戦争に活かされていたようでもありました。


アルキメデスの浮体の法則

最後の浮体の法則を扱いましょう。これはいわゆる「浮力」です。高校生の頃、これがまったく理解できなかったのを覚えています。意味が分からない力だと思っていました。でも、誰もが経験的にわかる力です。プールやお風呂の中では身体が軽く感じます。本来なら重力にしたがって地面におっこちる物体でも、水があると浮いてしまうことがあります。2300年前のアルキメデスは、これを経験的に受け入れるもの=法則として理解し、つぎのようにまとめました。

アルキメデスの浮体の法則:「任意の固体は液体に浸されると、それがおしのけた液体の重さだけ軽くなる。」

ただ軽くなるという事実はだれでも知っています。それを一歩進んでどれくらい軽くなるのかというのを定式化したことは本当に素晴らしいですよね。この実験の証明は、当塾においてもやってみようと思う実験の一つです。そのやり方は次のようなものです。図5を見てみましょう。容器内は水とします。

図5:アルキメデスの浮体の法則確認実験の一例

とても不思議だとは思いませんか?プラスチックでできたほうは大体1kgの重さなのですが、水の中に入れておくと秤はほぼ0kgを示すのです。一方、鉄をまったく同じ形で用意して沈めると、元の7kgから1kg分だけ軽くなるのです。これをいろんな固体(鉄以外のもの)でやってみてもしも同じような結論が得られたら・・・・。さらには、水ではなくて油でやってみたとして、比重が異なる(同じ体積をとっても水よりも油のほうが軽いことを言っています。サラダにかけるドレッシングにおいては油が上のほうに浮いてくる現象はご存知の方も多いでしょう。)わけですから、違う結果がでるかもしれません・・・。実はその結果がうえにまとめた「アルキメデスの浮体の法則」なのです。なんでかはよくわからないが、液体の中ではおしのけた液体の重さだけ自分の重さが軽くなっているように感じるというわけです。


アルキメデスの浮体の法則を用いた簡単な計算

そこでちょっとだけ計算をしてみましょう。体重60kgの青年の身体の1cm^3(立方センチメートル)は何gくらいなんでしょうか?これを密度といいます。我々の密度を求めてみたいと思います。(これは人の体によって個人差がありますので、体重が60kgだからといって必ずみな同じ密度にはならないことには注意してくださいね)

仮に彼の密度が1cm^3あたり1gであると仮定してみましょう。すると60kg=60000gより、この青年は60000cm^3の体積を持つことがわかります。一方、水の密度は同じく1cm^3あたり1gなわけですから、彼が水のプールに入ることで本来そこにあったはずの水を押しのけてしまった分の重さは60000gの重さであることがわかります。しかし、アルキメデスの浮体の法則がいうところには

アルキメデスの浮体の法則:「任意の固体は液体に浸されると、それがおしのけた液体の重さだけ軽くなる。」

というのですから、今回押しのけた水の重さ=60000gの重さ=60kgの重さであることを考えれば、彼の重さは60kg-60kg=0kgとなり、重さが消滅します。つまり、彼は理論上水の中で静止します。でも、これは経験的にはおかしいですよね(笑)。プールでも潜っていれば私たちは沈みます。ですから、引き算しても0kgにならないようにするためには、引く数がもっと小さければよい。水の密度は変わりようがないから、「彼の身体1cm^3は1gよりは大きい重さである」ことは予想がつきますね。分からない方のために例を取ります。仮に彼の身体1cm^3が2gであるとしてみましょう。上と同様に計算をしてみてください。彼の体積は30000cm^3と分かります。つまり、彼がプールに入ることで押しのけた水の重さは30000gの重さ=30kgの重さとなり、彼の体重は60kg-30kg-30kgとなることがアルキメデスの浮体の法則からわかるのです。

さて、自分の密度を求める話でしたね。それなら、水中に体重計をおいて、完全に身体をプール内に沈めた状態で乗っかってみればよいのです。もしも体重計が30kgを示せば、上でやった計算から密度は2g/cm^3とわかりますね。30kg以外の値でも、逆算して計算しきることはそこまで難しくないと思います。


とても長い記事になってしまいましたね。いかがでしたでしょうか?古代ギリシアという大昔にアルキメデスが物理学に貢献したことを少しでもわかっていただけたでしょうか。このあたりでかなり物理学が発展してきています。アルキメデスが大きな仕事をしたといっても過言ではないでしょう。

古代ギリシアの話はこれにて終わりになります。これからも歴史の話は書かせていただきます。並行して様々なことも書いていくかと思います。

読んでいただきありがとうございました。

物理学のはじまりその2 と 私が伝えたいこと

前回の記事では紀元前600年頃のピタゴラスの話をしました。しばらく舞台は古代ギリシアのままです。本日はデモクリトスとアリストテレスの話をしましょう。


古代ギリシア人その2「デモクリトス」

今回はそれから200年ほど経ったお話です。その時、デモクリトスという哲学者がいまして、「あらゆる物質は人間の目には見えないほど小さな粒子からできている。」という考えを提示しました。しかしこれは法則とは言えませんよね。法則とは実験によって成り立つと考えられることですから、デモクリトスの提示したことはきちんと目で確認するまでは法則ということはできません。(これでもわからないという方は以前の記事「物理学とは」「物理学と数学の違い」を読んでみてください。)

デモクリトスは「これ以上分割できないもの」という意味を表すギリシア語のアトモスという名前をこの粒子に付けました。これは現在でも使われている英語のatom(原子)の由来です。しかし当時にこの考え方がすぐに受け入れられたとはいえず、ドルトンが原子説を発表する西暦1800年頃までの約2200年間、実は忘れられていた考え方だったのです。今の時代では考えられませんよね。中学生の頃から物体は原子という粒子から構成されていることをさも当たり前かのように叩き込まれているのです。しかし、それは今の時代では当たり前の考え方であるとしても、いつの時代でもそうであったとは言えないのです。

デモクリトスの考え方では、アトモスには4種類(石の原子、水の原子、空気の原子、火の原子)があり、これらの組み合わせによって物質が構成されていると考えたそうです。例えば、

  1. 植物は日光を浴びて育つから、土=石の原子、水分=水の原子、太陽の火の原子からなる。
  2. 木は水の原子を失うと燃えてしまう。そして火の原子=炎を放出して、石の原子=灰をその場に残す。
  3. 石の原子からできた金属鉄鋼を火の原子=炎の中に入れると、石原子と火原子が結合して金属を生ずる。鉄のような金属は火原子を少ししか含んでいないから金属光沢がそこまででもない。一方、金は火原子を最大限に含んでいるからピカピカしていて高価である。

のような具合に考えていたようです。ここから、「錬金術」の考え方も見て取ることができますね。高価だから金を欲しい、だから鉄にもっと火原子を加えれば絶対に金ができるのだ。そう、考えるようになったのでしょう。

デモクリトスの考え方は、差異はあれど、現代の化学において重要な基礎をなしていることは明白ですよね。でも、当時その考え方を口にしても馬鹿にされるだけだったでしょう。これは彼の考え方は「単なる考え方」に過ぎず、実験的な検証が難しかったことにも起因するでしょう。しかし私は、どのようなところに真実が転がっているかはわからないもので、どんな考え方も根拠もなくむやみやたらに批判はせず、深く考えたり議論することの重要性を目の当たりにしているような気がします。


私が伝えたいこと

議論の重要性の話が出てきたので、ここで少し私の考え、塾を作ろうと思った一つの理由を書きたいと思います。学校では教師からの一方通行の授業が日本では普通です。しかし、それでは生徒の能力を最大限に引き出すのは難しいことです。ただ言われたことを受け止め、何も考えず、公式を暗記し、点数が取れて・・・と。このような消極的な姿勢では、大学に進学したとしても勉強に対する興味は全く保つことができないでしょう。人に言われたことをきちんと理解しアウトプットする能力は確かに重要ではありますが、それが100ではどうでしょうか。私は、もっと教師を含んだ双方向的な議論が必要なのではないかと思います。生徒自ら考え、間違ってもいいから、それを発信する。教師は間違いだとしてもすぐに否定するのではなく、なぜ違うのか、どうして間違いなのか、などを考えさせる。その過程で、無味乾燥だと思っていた勉学の面白さに気づく生徒もいると思うのです。現状の高校教育が間違っているとは思っておりません。ただ、そういう場所を設けたいというのが私の考えなのです。


少し話が飛びましたが、古代ギリシアの話に戻りましょう。

古代ギリシア人その3「アリストテレス」

彼は紀元前384年に生を受け、17歳の時にアテナイという場所に行き、哲学者プラトンの元で勉学に励みました。広く旅をして周り、再びアテナイに戻ってきたときにはリュケイオンというところに学園を開いて散歩学派という哲学の一学派を築きました。彼がここで講義を行ったときの台本と思われるものが現在でも彼の著作として残っていて、論理学、心理学、政治学、生物学など様々な分野についての論文があります。しかし、彼は物理学に関してはほとんど貢献をしなかったと言われます。唯一の貢献は、物理学の英訳physics(フィズィックス)の語源となっているフュジス(ギリシア語で自然という意味)を使い始めた、というくらいです。

アリストテレス哲学では「事物の本性にはそれ以上立ち入った研究をすることは無用である。」という考え方があった。例えば、地上の物体はなぜ落ちるのか、だとか、天体はどうしてこのような運動をしているのだろう、だとか、そのようなことを深く考えることは無用であるとしていたのである。

実はこの考え方はのちのルネサンス時代まで「当たり前の知識・前提」として受け入れられており、かの有名なガリレオ・ガリレイ(のちの記事で触れる予定です)もこの考え方を受け入れており、抜け出すために奮闘しなければいけなかったのです。


さて、今日は古代ギリシア人で重要な人物としてデモクリトスとアリストテレスを紹介しました。次回は古代ギリシアの巨人「アルキメデス」に焦点を当てたいと思っています。今日はここで終わりにいたします。

物理学のはじまり その1

今日からは物理学の歴史について触れていきたいと思います。

まずは「物理学のはじまり」というタイトルで、何回か小分けにしつつ連載していきたいと考えています。基本的に毎日更新したいと考えています。また、物理学で用いる難しい用語については、筆者が覚えている限りではありますが、用語リンクをその都度つけ、読者が意味を確認できるようにしたいと考えています。
物理学が発展する源泉となったのは今日「古代ギリシア人」と呼ばれている人々であると考えられています。例えば、以下のように物理学の用語にギリシア語に由来するものが残っています。

  1. 磁気を意味する英語のmagnetism(マグネティズム)は、ギリシア人のマグネスという名前の羊飼いが持っていた鉄の石付きのついた杖が道端の石ころに引きつけられた事に驚いた事に由来すると言われています。
  2. 電気を意味する英語のelectricity(エレクトゥリスィティ)は、コハク(ギリシア語でエレクトロン)を羊の背中でこすって磨いていたら、そのコハクは小さな木片を引きつけるような力がある事に気がついた事に由来すると言われています。

これらは定性的な理解(量的に何かを理解したわけではなく、性質としておおよそを把握するという意味合い)にとどまっていますが、初めてそれを数学的に定式化しようとして記録に残っているのがピタゴラスの弦に関する実験結果です。
高校で倫理学を勉強した方は、ピタゴラスは「世界を支配するのは数である」と唱えた事を知っている人もいると思います。彼は弦が奏でる音についてある法則を見つけたのです。図1をご覧になってください。

図1:ギターの弦が揺れる様子の概念図(弦の長さの比が1:2)

イメージするのはギターの弦ですね。弦の下の方は固定されていますが、私たちはそれを弾く時に片方の手を使って弦の途中を指で抑え、音を変化させます。ピタゴラスは現代風にいえば二つのギターを用意し、「協和音」が出るのはどういう弦の長さの時なのかという事をつきつめようとしました。その結果「完全な協和音を与える弧長は単純な整数比をなさねばならない。」という法則を見出しました。

法則:「完全な協和音を与える弧長は単純な整数比をなさなければならない。」

★実演実験「ピタゴラスの弦の法則」

あまりに簡単な実験ではありますが、1:2の和音(1オクターブずれの和音。今回はファの音です。)と、2:3の和音(減5度音程。今回はシのフラットとファの音です。)について実際に動画に撮ってみましたので、ぜひご覧になってみてください。本当に測ってるのか?と思う方もいるかもしれません(笑)。そういう方はぜひきちんと測ってやってみてくださいね。

これは紀元前6世紀の中頃の話です。つまり、理論物理学(数学を用いて、自然の現象を定式化し法則という形でまとめていく学問)の始まりはだいたい2600年ほど前であると考えられるのかもしれません。

しかし、ピタゴラスはさらに考えを進めて、「諸惑星の運動は協和しているに違いない。よって、地球から諸惑星まで測った距離というのはギリシアの民族楽器ライアが与える7つの基音を生ずる弦の長さと同じ比を持つに違いないのだ。」と考えるようになったそうです。自然現象が数学との関わりを持ち、その美しさに哲学的な思考を抱くのは私もわからないではありませんが、病的になってしまう方々もいらっしゃったわけですね。

今日はここまでにしたいと思います。