教育について思うこと

先ほど、TEDにて次の動画を見ました。

 

 

「学校教育は子供の創造性を潰している?」というタイトルです。

リンク先へ飛べば視聴できます。英語で聞けない方は字幕があるので、そちらでJapaneseを選べば日本語訳を表示させつつ見ることができます。

このお話を聞き、少し教育についての考えをまとめさせていただきます。


日本はとても間違いに対して敏感な国だと思っています。

(この人の話を聞く限り、日本以外の国でも例外ではないようです。)

 

 

出る杭は打たれる。間違いは徹底的に叩く。少しでも間違えたらネットの晒し者にされてしまったりします。そういうのも恐れているのか、周りと同じように、同じように、真似して、出っ張らないようにする傾向がある。

ここから私が思うのは、「何らかの固定概念に支配された人しか育たないのではないのか」ということです。あたかも機械のような。これにはたくさん反論もあるとは思います。極論ですから。

でも、このTEDのスピーチでKen Robinsonが例に挙げていた学習障害の子が、彼女の場合はダンスに秀でていたわけですが、たまたま彼女の医者の提案でダンススクールに行かせてあげることを提案して、それが実った。

もしも彼女の母親が学力主義の人で、ダンススクールに行かせるなんて将来どうなるかもわからない、経済的に安定するかもわからない、などとしてやはり学習の方に特化させたりしたら・・・それは彼女の今ある未来はなかったのでしょうね。

こういう話は学校教育などの場面でもあり得る話ですよね。先日Twitterの記事で正方形の面積を求める問題で子供が「対角線×対角線÷2」とやったらバッテンをくらい、正解は「一辺×一辺」にしなければならないというものを見て驚きました。こんなことが実際に蔓延ってしまっていたら、子供が考える力を失っていくということにも信憑性が増しますね。掛け算の順序も決められたやり方でやらないとバッテンを食らう話も有名です。

しかし、それで点数の差をつけられ、順位がつけられ、親が「〜君は何点ですごいけど、あんたは〜」などのようなレッテル。点数社会。子供は、点数を取るために、必死になる。いい学歴を持つために。それが、大学受験が終わるまでのひとまずの目標になり、大学に行くことの本来の意味は薄れている可能性が高い。大学受験が終われば、燃焼して、力つきる。

学歴=最高のような考えが拡がっていて、学歴を持たない人がいけない、という風潮が一部で支配的になっていることがそもそも良くない。そういう風潮があるから、親も子も必死になってしまう。出る杭にはなりたくないから。

持論としては、Ken Robinsonと同じで、子供の好きなようにやらせればいいと思うのです。倫理的・道徳的におかしいことをやろうとしているのであれば、それは親が止めなければならないでしょう。それも一つの教育。ただ、学歴至上主義に惑わされて、本当にやりたいことを見失ったり、その機会を消失するのはもってのほかだと考えます。

自分はたまたま学問の道を歩んでいますが、そうでない人が大半でしょうし、そういう人は学問に捉われず(もっと言えば、大学なんていう縛りには捉われず)もっと興味のある分野にひたすら向かっていけばいいですよね。そしてきっと、どう進もうが失敗は絶対つきものだと思います。自分もこの塾をたちあげようとしている段階で、これから失敗しかないのだろうなぁと思っていますが、それでもいいと思っています。これが自分の今のやりたいことであるし、きっと今やらなければ後悔するから。

(自分はまだそういう大きな失敗の前段階にいるような人種なので、こういうことを口走るのは偉そうだとかいうふうに批判されるかもしれませんが)「何かやりたいということがあれば、それに突き進んでいけばいいのではないのか」と思うんですね。


長々と書いてしまいましたが・・・教育についてとても複雑で難しく、でも重要で考えなければならない問題だと感じさせられましたので簡単に記事にさせていただきました。

(終わり)

 

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