物理学のはじまり キリスト教の弊害

1:「地球こそが中心なんだ」という考え方がはびこる

前回最後に紹介しましたプトレマイオス(紀元後200年ほどの人物)は、「地球が世界の中心であり、その他の惑星は地球の周りを回っている。」という世界体系を打ち出し、その考え方はキリスト教の教理に非常に合っていたため、これが根底概念として支配されるようになりました。

現代において、太陽の周りを地球が回っていることは疑念の余地がありません。誰も疑わないでしょう。しかし、当時は逆であり、「地球こそが世界の中心である」という考え方(=天動説)が当たり前の事実として受け入れられていたのです。

では、ここで我々が過去にタイムスリップしまして、「地球こそが回っているんだよ。太陽が中心なんだ。」と言いふらしたらどうなると思うでしょうか?

実は、宗教裁判所(異端審問所)というところが目を光らしており、そのような発言をしたあなたを糾弾し、刑に服せられてしまうでしょう。

そんな時代はヨーロッパにおいて1000年以上も続き、科学の発展を妨げてしまったと考えられます。


 

2:ギリシア科学の逃げ道はアラビア帝国であった

幸いにして、ギリシアで発展した科学の基礎はアラビア帝国に伝わり、そこで生き延びたのです。アラビア時代(7世紀頃)に発達した学問の言葉は今でも名前が残っています。アルジェブラ(代数学)、アルコール、アルカリ、アマルガム、アルマナク、アンタレスなどなど。

しかし、アラビア帝国においては、数学は発達したにもかかわらず、物理学への重要な寄与はなかったと言われています。


 

3:ヨーロッパにて再び

キリスト教信仰により物理学の発展が抑えつけられ、西暦784年となった頃、次第にヨーロッパに科学再興の兆しが見えた。フランス帝国において修道院には付属の学校をつけることが義務となり、時を経て1100年にはパリ大学が造られた。とは言ったものの、実はローマ帝国により教育の内容については厳しい監督がなされていた。主に研究が許されていたのはアリストテレスの書物であり、これはギリシア→アラビア→ヨーロッパというようにアラビアを経由して再びヨーロッパの手元に戻ってきたのものであった。しかし以前にも書いたように、アリストテレスの哲学は物理学を発展させるという意味ではあまり優れておらず、むしろ弊害となっていた。

結果として、再興仕掛けているヨーロッパはなかなかその道に乗り切ることができなかったのです。


 

今日はここまでにしましょう。なんとなく内容はつかめて頂けたでしょうか?今までの流れを簡単にまとめると、

  1. ギリシアで科学の基礎が芽生えた(〜西暦200年頃まで)
  2. ギリシアが衰退=科学発展がストップ
  3. ギリシアの科学の基礎をアラビア帝国が引き継いだ(西暦700年ほど)。一方、ヨーロッパはキリスト教信仰により科学発展ほぼ停止。
  4. ヨーロッパの一部では厳しい統制の中、フランスなどで再興の兆し。(西暦1100年ほどまで)
  5. アラビア滅亡(11世紀ほど)

 

かなりざっくりですが、ギリシアで科学の基礎が芽生え、それはキリスト教信仰がヨーロッパにはびこっている間はアラビアに避難していたのですね。それが次第にヨーロッパに戻り、再興の兆しが見えていたのですが・・・・。アリストテレスの哲学はヨーロッパにおいて科学の発展には不利な状況であった、と。

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