物理学のはじまりその2 と 私が伝えたいこと

前回の記事では紀元前600年頃のピタゴラスの話をしました。しばらく舞台は古代ギリシアのままです。本日はデモクリトスとアリストテレスの話をしましょう。


古代ギリシア人その2「デモクリトス」

今回はそれから200年ほど経ったお話です。その時、デモクリトスという哲学者がいまして、「あらゆる物質は人間の目には見えないほど小さな粒子からできている。」という考えを提示しました。しかしこれは法則とは言えませんよね。法則とは実験によって成り立つと考えられることですから、デモクリトスの提示したことはきちんと目で確認するまでは法則ということはできません。(これでもわからないという方は以前の記事「物理学とは」「物理学と数学の違い」を読んでみてください。)

デモクリトスは「これ以上分割できないもの」という意味を表すギリシア語のアトモスという名前をこの粒子に付けました。これは現在でも使われている英語のatom(原子)の由来です。しかし当時にこの考え方がすぐに受け入れられたとはいえず、ドルトンが原子説を発表する西暦1800年頃までの約2200年間、実は忘れられていた考え方だったのです。今の時代では考えられませんよね。中学生の頃から物体は原子という粒子から構成されていることをさも当たり前かのように叩き込まれているのです。しかし、それは今の時代では当たり前の考え方であるとしても、いつの時代でもそうであったとは言えないのです。

デモクリトスの考え方では、アトモスには4種類(石の原子、水の原子、空気の原子、火の原子)があり、これらの組み合わせによって物質が構成されていると考えたそうです。例えば、

  1. 植物は日光を浴びて育つから、土=石の原子、水分=水の原子、太陽の火の原子からなる。
  2. 木は水の原子を失うと燃えてしまう。そして火の原子=炎を放出して、石の原子=灰をその場に残す。
  3. 石の原子からできた金属鉄鋼を火の原子=炎の中に入れると、石原子と火原子が結合して金属を生ずる。鉄のような金属は火原子を少ししか含んでいないから金属光沢がそこまででもない。一方、金は火原子を最大限に含んでいるからピカピカしていて高価である。

のような具合に考えていたようです。ここから、「錬金術」の考え方も見て取ることができますね。高価だから金を欲しい、だから鉄にもっと火原子を加えれば絶対に金ができるのだ。そう、考えるようになったのでしょう。

デモクリトスの考え方は、差異はあれど、現代の化学において重要な基礎をなしていることは明白ですよね。でも、当時その考え方を口にしても馬鹿にされるだけだったでしょう。これは彼の考え方は「単なる考え方」に過ぎず、実験的な検証が難しかったことにも起因するでしょう。しかし私は、どのようなところに真実が転がっているかはわからないもので、どんな考え方も根拠もなくむやみやたらに批判はせず、深く考えたり議論することの重要性を目の当たりにしているような気がします。


私が伝えたいこと

議論の重要性の話が出てきたので、ここで少し私の考え、塾を作ろうと思った一つの理由を書きたいと思います。学校では教師からの一方通行の授業が日本では普通です。しかし、それでは生徒の能力を最大限に引き出すのは難しいことです。ただ言われたことを受け止め、何も考えず、公式を暗記し、点数が取れて・・・と。このような消極的な姿勢では、大学に進学したとしても勉強に対する興味は全く保つことができないでしょう。人に言われたことをきちんと理解しアウトプットする能力は確かに重要ではありますが、それが100ではどうでしょうか。私は、もっと教師を含んだ双方向的な議論が必要なのではないかと思います。生徒自ら考え、間違ってもいいから、それを発信する。教師は間違いだとしてもすぐに否定するのではなく、なぜ違うのか、どうして間違いなのか、などを考えさせる。その過程で、無味乾燥だと思っていた勉学の面白さに気づく生徒もいると思うのです。現状の高校教育が間違っているとは思っておりません。ただ、そういう場所を設けたいというのが私の考えなのです。


少し話が飛びましたが、古代ギリシアの話に戻りましょう。

古代ギリシア人その3「アリストテレス」

彼は紀元前384年に生を受け、17歳の時にアテナイという場所に行き、哲学者プラトンの元で勉学に励みました。広く旅をして周り、再びアテナイに戻ってきたときにはリュケイオンというところに学園を開いて散歩学派という哲学の一学派を築きました。彼がここで講義を行ったときの台本と思われるものが現在でも彼の著作として残っていて、論理学、心理学、政治学、生物学など様々な分野についての論文があります。しかし、彼は物理学に関してはほとんど貢献をしなかったと言われます。唯一の貢献は、物理学の英訳physics(フィズィックス)の語源となっているフュジス(ギリシア語で自然という意味)を使い始めた、というくらいです。

アリストテレス哲学では「事物の本性にはそれ以上立ち入った研究をすることは無用である。」という考え方があった。例えば、地上の物体はなぜ落ちるのか、だとか、天体はどうしてこのような運動をしているのだろう、だとか、そのようなことを深く考えることは無用であるとしていたのである。

実はこの考え方はのちのルネサンス時代まで「当たり前の知識・前提」として受け入れられており、かの有名なガリレオ・ガリレイ(のちの記事で触れる予定です)もこの考え方を受け入れており、抜け出すために奮闘しなければいけなかったのです。


さて、今日は古代ギリシア人で重要な人物としてデモクリトスとアリストテレスを紹介しました。次回は古代ギリシアの巨人「アルキメデス」に焦点を当てたいと思っています。今日はここで終わりにいたします。

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